アレハンドロ・ジェラス(Alejandro Lleras)の論文一覧:集中しすぎる脳に「ちょっと休憩を挟みません?」と、注意力の長持ち術を教えた認知心理学者
アレハンドロ・ジェラス(Alejandro Lleras)のプロフィール
アレハンドロ・ジェラスは、人間の「注意力」を研究している認知心理学者です。
注意力と聞くと、「集中できる人は意志が強く、集中できない人は根性が足りない」という、少々体育会系の話を思い浮かべるかもしれません。
しかし、ジェラスの研究をのぞいてみると、脳はそれほど単純な部活動ではありません。
「よし、今日は集中するぞ!」
と本人が張り切っていても、脳のほうはしばらくすると、
「この作業、まだ続くんですか?」
「さっきから同じ画面ですが、新しい展開はありませんか?」
と、こっそり持ち場を離れ始めます。
ジェラスが調べているのは、まさにこの瞬間です。
人は、どのように必要なものへ注意を向けるのか。目の前にあるものを、なぜ見つけられるのか。反対に、見えているはずのものを、なぜ見落としてしまうのか。そして、集中しようと頑張っている最中に、なぜ心は遠い空へ散歩に出かけてしまうのか。
ジェラスは、そんな注意力の働きと失敗を、主に「見ること」の研究を通して明らかにしてきました。現在は米国のイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校を拠点に、心理学と先端科学技術研究所で研究・教育に携わっています。
工学から心理学へ、研究のハンドルを切る
ジェラスの経歴には、少し意外な曲がり角があります。
最初から心理学一筋だったわけではありません。フランスの学校で工学を学んだ後、米国のペンシルベニア州立大学で産業工学の修士号を取得しています。その後、関心の中心は機械や仕組みから、人間の認知へと移っていきました。
いわば、
「機械がどう動くかも面白い。しかし、その機械を見たり操作したりしている人間の頭は、いったいどう動いているんだ?」
と、研究のカメラを人間側へ向けたわけです。
ペンシルベニア州立大学では、注意と視覚認知を中心とした認知心理学を研究し、2002年に博士号を取得。その後はカナダのブリティッシュコロンビア大学で研究員を務め、2004年からイリノイ大学で研究を続けています。工学から心理学へ進んだ経歴は、数字や仕組みを大切にしながら、人間の不思議を実験で解いていく彼の研究姿勢にもつながっているように見えます。
目は開いている。でも、脳が見ているとは限らない
私たちは普段、「目を開けているのだから、当然まわりが見えている」と考えがちです。
ところが実際の脳は、目に入ったものをすべて丁寧に受け取っているわけではありません。
たとえば、机の上に鍵があるのに見つからない。
「あれ、ないぞ」
「ここに置いたはずなのに」
「家の鍵が自立して旅に出たのか?」
と探し回り、最後には最初に見た場所から見つかることがあります。
鍵は透明になっていたわけではありません。目には入っていたけれど、脳が「探しているもの」としてうまく処理できていなかった可能性があります。
ジェラスは、私たちがたくさんの情報の中から目的のものを探す「視覚探索」を研究してきました。人間の視覚は、カメラのように風景を丸ごと保存しているのではなく、必要そうな情報を選び、不要だと思った情報を後ろへ押しやりながら世界を見ています。
つまり脳は、優秀な撮影係というより、かなり忙しい仕分け係です。
「これは今いらない」
「こちらは重要そうだ」
「これは似ているけれど、たぶん違う」
そんな判断を一瞬のうちに繰り返しながら、私たちは人混みの中から知人を見つけたり、商品棚から目的の品を探したり、道路標識を読み取ったりしています。
ジェラスの研究は、その仕分けがどのように行われ、どこで取り違えが起きるのかを明らかにしようとするものです。彼の公式紹介でも、時間の流れの中で注意がどう動くのか、長時間の集中でなぜ気が散るのか、集中中に周囲の情報をどのように無視するのか、場面の中から物体をどう見つけるのかが、主な研究テーマとして挙げられています。
集中力には「長時間営業」が向いていない
ジェラスの名前を広く知らしめた研究の一つが、有賀敦紀との共同研究です。
この研究が投げかけたのは、長時間の集中に関する素朴な疑問でした。
同じ作業を続けていると成績が落ちてくるのは、注意力という燃料を使い果たすからなのか。それとも、別の理由があるのか。
一般的には、集中を続けると頭の中の電池が減り、やがて動けなくなるように考えられていました。
ところがジェラスたちは、少し違う見方を示しました。
脳は、同じ刺激や同じ目的が長く続くと、それに慣れてしまうのではないか。ずっと同じ香りの部屋にいると、やがて香りを感じにくくなるのと似て、同じ作業目標を長時間保ち続けると、脳がその目標への反応を弱めてしまうのではないか、と考えたのです。
そこで実験では、長い作業の途中に、ほんの短い別の課題を挟みました。
すると、休まず作業を続けた人たちは徐々に成績が落ちた一方、短い切り替えを経験した人たちは、集中力を比較的保つことができました。
脳にとっては、この小さな切り替えが、
「はい、一度この仕事から離れます」
「では、あらためて戻ります」
という再起動の合図になったと考えられます。
ここで大切なのは、「疲れたら一時間眠ればすべて解決」という話ではないことです。
研究が示したのは、ごく短い注意の切り替えにも意味がある可能性です。ずっと同じ対象にかじりつくより、ほんの少しだけ別のものへ注意を移し、また戻ってくる。その小さな往復が、注意の働きを保つ助けになるというのです。
本人は仕事をサボっているつもりでも、脳からすれば、
「ありがとうございます。目標を再読み込みしました」
という時間なのかもしれません。
ただし、休憩と称して動画を見始め、気がついたら夕方になっていた場合は、別の研究が必要です。
集中できない自分を、根性不足で裁かなくていい
ジェラスの研究が興味深いのは、集中力の低下を、性格の弱さだけで説明しないところです。
集中できなくなると、私たちはつい自分を責めます。
「どうして自分は続かないんだろう」
「もっと強い意志を持たなければ」
「優秀な人は、三時間くらい微動だにせず働いているはずだ」
しかし、人間の注意にはもともと特徴と限界があります。
長く続くものに慣れる。変化のないものを背景へ追いやる。必要だと思ったものに注意を向ける一方、それ以外の情報を見落とす。
これは必ずしも故障ではありません。むしろ、限られた処理能力で複雑な世界を生きるために、脳が身につけた仕組みでもあります。
もし目に入る音、色、形、動き、言葉を一つ残らず同じ強さで処理していたら、私たちの頭の中は毎朝の通勤駅のような大混雑になるでしょう。
脳は情報を捨てることで、どうにか必要なものへ集中しています。
そのため、「集中力を鍛えて、永遠に集中できる人になる」と考えるよりも、「人間の注意はどう動くのかを知り、その特徴に合った働き方をつくる」と考えたほうが現実的です。
ジェラスの研究は、休憩を甘えから戦略へ、注意の失敗を根性不足から人間の仕組みへと、見方を少しずらしてくれます。
研究室の外でも「見落とされる人」を減らす
ジェラスは注意や視覚認知を研究する一方で、大学や心理学界における多様性と参加の機会を広げる活動にも携わってきました。
イリノイ大学では、心理学部門で多様性と包摂に関する役職を歴任し、その後は教養学部で、誰もが力を発揮できる環境づくりを担当する副学部長を務めています。また、認知科学の世界で多様な背景を持つ研究者の参加を促す団体の共同設立者でもあります。米国の心理科学に関する委員会や、国際的な心理科学組織でも活動してきました。:contentReference[oaicite:4]{index=4}
注意の研究者が、研究界で見落とされやすい人々にも目を向けている。
そう考えると、彼の活動には一本の線が通っているようにも感じられます。
人間は、目の前にあるものをすべて見ているわけではありません。
科学の世界でも同じです。優れた能力や可能性がそこにあっても、慣習や思い込みによって見過ごされることがあります。
「ちゃんと見えているつもり」を疑うこと。
それは視覚認知の実験だけでなく、組織や社会を考えるうえでも大切な姿勢なのでしょう。
脳は怠け者ではなく、少し飽きっぽい働き者
アレハンドロ・ジェラスは、人間の注意を魔法の力として扱うのではなく、働き方に癖のある仕組みとして研究してきた心理学者です。
私たちの脳は、必要な情報を選び、不要なものを遠ざけ、目標へ注意を向けようとします。
その一方で、同じ作業が長く続けば慣れ、目の前にあるものを見落とし、ときには仕事中に心だけ窓の外へ出かけます。
しかし、それは脳が完全に壊れたからではありません。
脳は怠け者というより、変化に敏感で、同じものには少し飽きやすい働き者なのです。
だからこそ、集中が切れたときに必要なのは、
「自分はなんて意志が弱いんだ」
という説教ではなく、
「脳さん、同じ景色が長すぎましたか。では、少しだけ場面を変えましょう」
という工夫なのかもしれません。
ジェラスの研究は、働き続ける私たちに、短い休憩を取るための科学的な言い訳を与えてくれます。
もちろん休憩後には戻らなければなりませんが、その点については、脳と本人のあいだで十分に話し合っていただきたいところです。
参考文献・確認先:イリノイ大学:Alejandro Lleras 公式プロフィール / Google Scholar:Alejandro Lleras 論文・引用情報 / PubMed:Alejandro Lleras 関連論文

アレハンドロ・ジェラス(Alejandro Lleras)の研究から学べること
アレハンドロ・ジェラスの研究から学べることは、ひとことで言えば、**「集中力は、気合いで締め上げるより、上手に扱ったほうが長持ちする」**ということです。
私たちは集中できないと、すぐに自分の性格を取り調べます。
「どうして私は、こんなに意志が弱いんだろう」
「さっき仕事を始めたばかりなのに、もう机の木目を眺めている」
「集中力のある人は、朝から晩まで一度もよそ見をしないのでは?」
しかし、ジェラスの研究を知ると、この厳しい取り調べに待ったをかけたくなります。
「ちょっと待ってください。犯人は意志の弱さではなく、人間の注意の仕組みかもしれませんよ」
私たちの脳は、同じものを長く見続けたり、同じ目標を保ち続けたりすることが、あまり得意ではありません。最初は張り切っていても、変化のない状態が続くと、脳は少しずつその対象への反応を弱めていきます。
つまり脳は、仕事を放棄しているというより、
「これはずっと続いているから、緊急ではなさそうですね」
と勝手に重要度を下げてしまうのです。
頼んでいないのに、脳内で優先順位会議が開かれています。
集中が切れるのは、意志が弱いからとは限らない
ジェラスの研究から、まず学びたいのは、集中力の低下をすべて根性不足で説明しないことです。
たとえば、同じ資料を長時間読み続けているとします。
最初の十分間は、
「なるほど、これは大切だ」
と読んでいたのに、三十分ほどたつと、
「なるほど……」
さらに時間がたつと、
「冷蔵庫にプリンがあったような……」
と、注意が別の場所へ旅立ちます。
本人は資料を読んでいるつもりでも、目だけが文章の上を散歩し、頭の中ではプリンの所有権について審議が始まっているかもしれません。
これは珍しいことではありません。人間の注意は、ずっと同じ状態を保つようにはできていないからです。
集中力を「一度点火したら燃え続ける炎」と考えると、消えたときに自分を責めたくなります。しかし実際には、集中力はときどき調整が必要な照明に近いのかもしれません。
明るさが落ちたときに、
「照明の人格がなっていない」
とは言いません。
スイッチや電源、使い方を確かめます。
集中力についても同じです。自分を叱る前に、作業時間、休憩の取り方、周囲の刺激、仕事の難しさなどを見直したほうが、問題を解決しやすくなります。
短い中断は、集中力の敵とは限らない
一般的には、集中している途中で別のことをすると、集中が壊れてしまうと思われています。
もちろん、仕事中に何度も通知が鳴り、電話が入り、隣から話しかけられれば、作業は進みにくくなります。
しかしジェラスたちの研究では、長時間続く単調な課題の途中に、短く別の課題を挟むことで、注意力の低下を防げる可能性が示されました。
ここが少しおもしろいところです。
集中力を保つためには、ずっと集中し続けるのではなく、一度だけ注意を別の場所へ移し、また戻すことが役立つ場合があるのです。
脳にとっては、
「この仕事を続けます」
と百回言い聞かせるより、
「はい、いったん離れます」
「では、もう一度始めます」
と区切ったほうが、目標を新しく感じられるのでしょう。
長い作業の途中で短い休憩を取ることは、集中を捨てる行為ではありません。むしろ、集中を再び呼び戻すための小さな呼び鈴になることがあります。
「集中さん、そろそろ戻ってきてください」
「はいはい、今行きます」
そんなやり取りが、頭の中で行われているのかもしれません。
ただし、休憩には小さな落とし穴がある
ここで注意したいのは、ジェラスの研究が「疲れたら好きなだけ遊びましょう」と言っているわけではないことです。
短い注意の切り替えと、帰還予定のない逃亡は別物です。
たとえば、
「五分だけ休憩しよう」
と動画を開き、
「こちらの動画もおすすめです」
「こちらも人気です」
「あなたの人生には、こちらの動画も必要です」
と次々に案内され、気づけば一時間が過ぎていた。
これは脳を再起動したというより、別の町へ引っ越しています。
休憩を役立てるには、短く、区切りがわかりやすく、元の作業へ戻りやすい内容にすることが大切です。
席を立って水を飲む。窓の外を見る。軽く体を動かす。別の簡単な作業を少しだけ行う。深呼吸をする。
こうした行動なら、注意をいったん切り替えながら、戻る道を見失いにくくなります。
休憩の目的は、仕事から永遠に離れることではありません。
脳に、
「同じ景色が長く続いたので、少し窓を開けますね」
と伝えることです。
「見ている」と「気づいている」は同じではない
ジェラスの研究は、長時間の集中だけでなく、私たちがどのように物を見つけ、何を見落とすのかという問題にも関係しています。
私たちは、目に入ったものをすべて見ていると思いがちです。
しかし実際には、脳は目に入った情報の中から、必要だと思うものを選んでいます。
たとえば、出かける直前に鍵を探しているとします。
机の上を見て、
「ない」
棚を見て、
「ここにもない」
家族に聞いて、
「鍵、知らない?」
すると家族が、最初に見た机の上を指さします。
「そこにあるよ」
「いやいや、そこは見ましたけど」
「見たけど、見つけてはいないね」
少し哲学的な敗北です。
鍵はずっと目の前にあったのに、脳が探しているものとしてうまく選び取れなかったのです。
このことから学べるのは、自分が見たことや気づいたことを、あまり絶対視しないほうがよいということです。
「私はちゃんと確認した」
「そんなものは見なかった」
「説明には書いてなかった」
そう思っていても、注意が別の場所へ向いていた可能性があります。
これは仕事でも人間関係でも大切です。
相手の表情を見ていたつもりでも、疲れている様子を見落としていたかもしれません。資料を読んだつもりでも、重要な注意書きを飛ばしていたかもしれません。
見落としは、無責任な人だけに起こるものではありません。注意を選びながら生きている、すべての人に起こります。
だからこそ、大事なことは二度確認する。声に出して確かめる。チェック表を使う。別の人にも見てもらう。
「気をつける」だけではなく、見落としが起きても困らない仕組みをつくることが重要なのです。
集中力は、本人だけの問題ではない
集中力の話になると、対策が本人任せになりがちです。
「もっと集中してください」
「気を抜かないでください」
「注意して作業しましょう」
しかし、これだけでは少し不親切です。
ジェラスの研究から考えると、集中力は個人の努力だけでなく、環境のつくり方にも左右されます。
同じ作業が何時間も続く。目的がわからない。終わりが見えない。頻繁に通知が入る。休憩を取りにくい。必要な情報があちこちに散らばっている。
このような環境で、
「集中してください」
と言われても、脳は困ります。
それは、道案内の看板をすべて外してから、
「迷わず到着してください」
と言うようなものです。
集中してほしいなら、仕事を小さく区切る。目標を明確にする。休憩の時刻を決める。通知を減らす。必要な情報を見つけやすくする。
会社や支援機関、学校などでは、こうした環境づくりが大切です。
注意力を本人の性格だけの問題にしてしまうと、
「集中できる人は優秀」
「集中できない人は怠けている」
という乱暴な評価につながります。
しかし、人間の注意には共通する特徴があります。優秀な人にも、まじめな人にも、疲れている人にも、見落としや注意の低下は起こります。
必要なのは、人を責める仕組みではなく、人間の特徴を見越した仕組みです。
仕事は「集中の長さ」より「戻る力」で考える
集中力がある人というと、一つの作業を何時間も続けられる人を想像するかもしれません。
けれども現実の仕事では、集中が一度も切れないことより、切れたあとに戻れることのほうが重要です。
誰でも注意はそれます。
電話も鳴ります。考え事も浮かびます。おなかも空きます。突然、十年前の恥ずかしい出来事が頭の中で再上映されることもあります。
「なぜ今、その記憶を上映した?」
と脳に聞いても、上映責任者は出てきません。
大切なのは、集中が切れた自分を長々と責めないことです。
「また集中できなかった」
「今日はもうだめだ」
と落ち込むと、作業に戻るまでの時間がさらに長くなります。
それよりも、
「注意がそれたな」
「では、次の一行から戻ろう」
と、小さく戻るほうが役に立ちます。
集中力とは、一本の道を一度も外れずに歩く力ではありません。道を外れたことに気づき、また戻る力でもあります。
ジェラスの研究は、集中を完璧な状態としてではなく、離れたり戻ったりしながら保つ動きとして考えるきっかけを与えてくれます。
自分を責める前に、脳の扱い方を変えてみる
アレハンドロ・ジェラスの研究から学べるのは、私たちの脳が、決して怠けるためだけに注意をそらしているわけではないということです。
脳は、変化の少ない情報に慣れます。
必要なものを選ぶ一方で、それ以外を見落とします。
同じ目標を長く保ち続けると、その目標への反応が弱くなることもあります。
こうした特徴は、欠陥というより、人間の注意に備わった性質です。
だから集中力が落ちたときには、
「もっと自分を追い込まなければ」
と考えるだけでなく、
「作業が長すぎないか」
「短い休憩を入れられないか」
「目標がぼんやりしていないか」
「気が散りやすい環境になっていないか」
と、やり方を見直してみることが大切です。
集中力は、叱れば伸びる草ではありません。
水の量や日当たり、植木鉢の大きさを調整しながら育てるものです。
今日、仕事中に注意がそれてしまっても、すぐに「自分はだめだ」と判決を下す必要はありません。
脳はただ、
「同じ景色が続いています」
「そろそろ区切りはありませんか」
と知らせているだけかもしれません。
その声を聞きながら、少し休み、また戻る。
ジェラスの研究は、集中力とは自分を縛りつける技術ではなく、脳と相談しながら仕事へ戻ってくる技術なのだと教えてくれるのです。

アレハンドロ・ジェラス(Alejandro Lleras)の論文一覧
1.『ほんの短い、たまの「心の休憩」が集中力を守る-課題をいったん手放し、再び向き合うことで注意力の低下を防ぐ』有賀敦紀、アレハンドロ・ジェラス(2011)
Ariga, A., & Lleras, A.(2011). Brief and rare mental “breaks” keep you focused: Deactivation and reactivation of task goals preempt vigilance decrements. Cognition, 118(3), 439–443.
DOI:10.1016/j.cognition.2010.12.007
「集中しろ!」と脳を机に縛りつけても、同じ作業が長く続くと注意力はじわじわ家出します。そこで有賀とジェラスは、見張り作業の途中に、覚えていた数字を思い出す短い寄り道を差し込みました。すると脳は「はい、一度閉店。では新装開店!」と目標を読み込み直したのか、成績の低下を防げたのです。集中力は使い切る電池というより、同じ景色に慣れてしまう店員なのかもしれない。休憩はサボりではなく、注意力の再起動ボタン。根性論に疲れた人ほど、続きを確かめたくなる論文です。

